村田兆治さん火事で亡くなる

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きょう午前3時過ぎ、東京世田谷区の住宅で火事があり、火は住宅の2階部分およそ40平方メートルを焼いておよそ2時間半後に消し止められた。この家に住む元プロ野球選手の村田兆治さんが救助され、病院にはこばれたが死亡した。死因は、煙を吸ったことによる一酸化炭素中毒の疑いがあるとのこと

村田さんは9月に

村田さんは羽田空港第一ターミナル・北ウイングの保安検査場で逮捕された。金属探知機に何度も引っかかったことで苛立ち、女性検査員の肩を強く押すなどした。その後25日に釈放され在宅でしばらく捜査が続けられたことがある。釈放されたときマスコミの前で深々と頭を下げた画面を見たときにショックを受けたことがある。

認知症の兆候が

事件後のコメントした人のなかに認知症の兆候がみられるのではといった人が相当数いた。実は自分も認知症ではないかと考えていた一人である。認知症に初期症状には怒りっぽい症状が現れることがあるのだ。村田さんも若くて元気があるといっても72歳の高齢者であることには変わりがなく、認知症であってもおかしくないのである。

現役時代は

村田さんは福山電波高(現近代福山高)から1967年ドラフト1で東京(のちのロッテ)に入団する。剛速球とフオークボールで活躍。75,76年は防御率1位76年には21勝をマークする。81年に19勝で初の最多勝。82年に肘を炒め83年に渡米して腱移植手術を行い85年に完全復活。日曜日に登板し開幕12連勝と勝ち続けサンデー兆治の異名をとった。89年には3度目の防御率1位。通算215勝177敗の成績である

ロッテオリオンズ時代には

川崎球場が本拠地のロッテ時代には自分の地元で春のキャンプが行われていたのでよく見に行った覚えがある。名球会の有藤選手、3冠王落合選手、甲子園優勝愛甲選手、新人から2年連続3割横田選手、盗塁王西村選手、サブマリン仁科投手、そしてマサカリ投法の村田投手である。監督は鉄腕稲尾である。古き良きパリーグの戦士たちである。今よりも個性的で面白い試合が多かった気がする。

村田さん

多々ただ残念です。煙草を手に持ったままなくなくなっていたという情報もありましたが、消防隊員が駆けつけたときは床に座った状態で、目立った外傷もなかったとのことです。
ご冥福をお祈りいたします


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